生きるということ、芸術

ほんの最近まで、
「画家で食べていけると思ってるのか」
「まだミュージシャンなんてやってるの?」
「そろそろまともな仕事についたら?」
なんて風潮があったのではなかったか。



私は、最後まで残るのはアートだと思っていた。
芸術とは生命だから。精神の表現であり、歓びだから。



そして今や、時代の変換期を迎え

コロナの影響か、AIの時代の到来か
消える仕事に生き残る仕事?
大企業の倒産?大不況?


価値の転換は加速し、もはや明らかになってきている。



今まで一番常識とされていたものが無意味となり、
今まで一番権威であったものが廃れ、
今まで一番くだらないと思われていたものほど、唯一無二の価値となる。







先日YouTubeで、『ラ・カンパネラ』を様々なピアニストで聴き比べられる動画を見た。

同じ楽譜が、人によってこうも違う作品になるのかと感じた。
ラ・カンパネラという曲をどう捉えているのか…感性、人生の襞、物語性……
男女によっても、年齢によっても違いがあるように感じた。

「優れた技術だな。」
と思える演奏もあれば、
「もはや鍵盤の音にすら聞こえない。感情の音色・旋律そのもののように聴こえる。」
と感じられる演奏もあるものだ。
(私感ですが、カンパネラはやはり、フジコ・ヘミングが極上すぎて。。)


AIに楽譜を通せば、ロボットはそれこそ人間以上に、正確に弾けるだろう。


しかし「表現」は、人間の表現だ。

彼は彼のカンパネラであり、
彼女は彼女の、
フジコさんはフジコさんの
ラ・カンパネラ。

その一瞬にしかない、二度と同じものは生まれない、生命だ。





そしてそれは、武道の表現においても同じである。

決められた通りのカタを披露することだけならば、ロボットでも出来る。
それは感動をさそうだろうか。



感動の正体とは何か。



人はこういう言い方をするではないか。

「心震える」

「魂に響く」



それが生命である。



「そんなもの生きていくのに、生活に、必要ない。」と思われるものがある。

そう、生きていくために必要なことは、本当に、大切な存在である。
大切な資源である。


そしてそれは、この地球に
ほんとうは足りている。
制限をかけて、分断しなければ。




「そうしないと生きていけないでしょ!」
「そうしないと、死んじゃうじゃん!」

そんな必要性でしか生きられないならば
サバイバルの世界だ。




「歌うことが気持ちいい!」
「踊りたくってたまらない!」
「絵を描くの大好き!」
「畑作業、嬉しい!」
「料理楽しい!」
「テーブルを作るの楽しい!」
「勉強、研究、楽しい!」

『やりたくてたまらない。』


そんな能動性こそが
ほんとうのライフ・世界であり


歓びであり


生命の正体、そのものである。




〜 武道 × 芸道 〜

武芸道 結 -MUSUBI-


東京から秋田県小坂町に道場を移転し、田舎移住。

武道と芸道の稽古をしながら「農」に関わり、

半農半士ライフの実践と発信をしています。


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