『表現』とは、かたちづくる とは
かたちづくる こととは
『作品』とは
絵画や映画や音楽だけじゃない。
たとえば
「あっ!あの人にこうしてあげたい!」
なんて思ったことを、『行動』すること。
(たとえばお年寄りに席を譲るなど)
幸せなら、存分に笑うこと。
本気で本音で人と関わること、伝えること、表すこと。
そういうことだ。
そのどれにも、最初は勇気が要るはずだ。
わたしにも震えるような体験がある。
些細なことだ。日常の中の一場面。
「これをしたことで、逆に罵倒されたり、危険な目にあったらどうしよう…」
なんて思えるようなことだった。
スルーしようと思えばそうできた。
関わらないでいようと思えば、そうするのは容易かった。
でも、わたしはそれを、自分に突きつけた。
「したい、と思っただろ。やるのか、やらないのか。
わたしはこれをしたいと思ったんだ。
今、そうしたいと思ったんだ。
どう思われても、何が起きてもいいんだ。
わたしがそう思った、その気持ちの方が大事だから。それが全てだから。
だからやる。」
って、拳握りしめて、ドキドキしながら実行したんだ。
(些細なことだっちゅうのに、そこまで自分に言い聞かせてね 笑)
そうしたら
ハッとしたように、お礼の言葉が返ってきた。
「罵倒されたらどうしよう…」なんて思っていたのに。
ただそれだけのことが
ほんとうに嬉しかった。一瞬、一瞬そうして関わりあえたことが、嬉しかった。
「ちっぽけなことだったけれど、与えさせてくれて有難う」
「わたしにその役をやらせてくれて有難う」
私こそがそう感じる、そういう貴い感動を授かったんだ。
わたしは『経験』を授かった。
やらなかったら、そのやらなかった先の自分は見えた。
自分にガッカリして、“でも、そんなもんだよね…これがフツーでしょ…” なんて、うやむやになってしまい、進化しない自分。
ドキドキしながらも やったことで、
思いがけない『自分』を知れた。知らなかった心地を知れた。
『経験』とはいつもそう。
『自分』に出逢う。
ーーー 抽象的なエピソードの説明でごめん(^-^;
ほんとうに些細なことなんだよ、お年寄りに席を譲る、といったような、そういう日常の中での、ささやかな事なんだよ。
そういうことへの勇気なんだよ。
わたしは、それが『作品』だと思う。
かたちづくる とは、そういうことだ。
表す、とはそういうことだ。
『表現者』とは
世に言う『アーティスト』のことだけではない
あなた自身のことだ
あなたの世界そのものなんだって
わかるでしょう。
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