見える側 見えぬ側
この世のものは
“見える側” からの説明
と
“見えぬ側” からの説明
とが出来、
“見える側”としては
たとえば人体の動きであるなら
「筋肉」や「骨」の作用であろうが
“見えぬ側” としては
「そうしたい・そうしよう」
と意志されたエネルギーが動いている
だけの話
人体も
物質も
貨幣も
全てはそれの、“見える側” であり
内在が
外在する
“思い” が
見える
動いている
「ただそれだけのこと」
に過ぎないのだが
単純なことほど
捉えどころがなく
信じがたく
怪しげな話か
“神秘” となってしまうのだろう
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