単独犯の生き方
わたしは頑固に自分の道を歩んできて良かった。
「世間一般ならば、コノ業界で言えば、コレかコレの選択肢しかない。
でもわたしは、“違う”と感じる。
それはわたしの気質じゃない。
わたしの生き方じゃない。
アレジャナイ
コレジャナイ
ならば何だ。
違うなら、何だ。
おまえの望みを形にするならば、
それはこの現実世界に どんな形をとるんだ?」
問いかけ、歩み、
時に迷い、世に媚びては
激しく自分を恥じて怒り
「おまえを生きろ」と叱りつけた。
いつも “単独犯” の気持ちだった。ずっと。
一緒にトイレに行くようなツレは要らない。
しかし仲間はいた。
一緒に遊び騒ぐ たくさんのトモダチは いなかったけど、
深い話が出来る『仲間』には、いつも巡り会えていた。
誰の言うことも聞かないから
わたしの周りは、その道を応援し、共に信じ、見守ってくれる人であり
“独り” だからこそ
“同士” がいた。
そして世は
コレニ スガレバ
と思われてきた「偶像の価値」は ハリボテで無意味であることが ますます露呈し
己が己以外に依ることの虚しさが
歴然と見えてきている
わたしは
わたしの生き方の輪郭が
くっきりとしてきている
はじめからカタチが見えていたわけじゃない
わからなくても、間違えても
求めて 手放さなかっただけ
今も
他人から用意されたルート
“出来合い” のもの ではない
曖昧で混沌な中から 手探りで見出す『創造』の道だから
その歩みに『己が生きる』手応えを
感じられるのかもしれない。
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