無私でなく脱私であること

青山繁晴さんの

『現代アートに挑戦する青山繁晴展』

を拝見しに

京都・大雅堂へ行って参りました。




「文字」が、「言葉」が、

ゆらゆらと踊るような空間

不思議な心地だった。


一階には

あらゆる字体で、ぐるりと壁を囲む

『脱』

の字。


ぜんぜん、いわゆる“上手な書” ではなく、

どちらかといえば稚拙ともいえる感じ。

なにが良いのか分かんない。


もしも、敬愛する青山さんの個展だと知らなかったならば

わたしのアタマは

「???」

だったかもしれないと思う。


でも

いろんな書体で書かれた

『脱』

時にムッと迫ってきて

時にユーモラスで

黒く書かれた、

おんなじ一文字が

色を変えたように

意味合いまでもそれぞれ違うみたいに感じて

それはそれは たしかに

不思議な心地だった。


確実に

“書道”として、

上手いとか下手とか

何が優れているだとか

そんな価値基準など、まったく関係のない世界。

ただ、字体から、なにかを感じるのみだった。


(のちに拝聴した作品解説で、青山さんは、

「失敗は、綺麗に書けたものだ。」

と仰った。

たくさんたくさん書かれたうちの

「いちばん小汚いようなのが並んでるんですよ」

と冗談めかして仰った。

あぁ、そうだなぁ、うわぁほんとうに、アーティストだなぁ、と感じた。

そこにあったのは、何度も何度も書いた工程など、まるで感じられないような作品ばかりだった。)




二階に上がれば

言葉が書かれた“物”や

色紙や

抽象画があって。


食べ終えた後の、シウマイ弁当の箱に

『武士道といふは死ぬことと見つけたり』

葉隠の一節。

どきっと足をとめた。


この言葉が

このような空き箱に

ただ、書かれていて

(きっちりした文字でも、“上手な”筆使いというわけでもなく、なんでもない気持ちでペンで書いたような)


それは

「武士道」「死ぬこと」そんな語句からイメージされる、覚悟も重みも

「名言」みたいな雰囲気も消えて

ただ、ただ


秋には枯葉が落ちる

というような、

フラットな感覚で、この言葉が、そこにあったのだ。




ほかにも

たくさんの作品があって

んー

ひとつひとつ挙げたら

きりがなくなるなぁ。

『逢』

の抽象画も、印象的だったなぁ…。




そして

そして

青山さんとの交流は

宝のようなひと時でした。



会場に現れ、

まず一階にて語られていた、青山さん。

ひしめき合う人たちの中で、青山さんの姿は、わたしの位置からはほとんど見えず

お声だけを、拝聴していた。


次に、青山さんは

二階に移る為に、動かれた。



会場の構造は

一階では、二手に分かれている階段が、

二階では、同じ場に出るようになっている。

わたしは、青山さんと反対側の階段を上がっていたのだけれど

丁度同じタイミングで、鉢合わせた。


その瞬間

あれだけの人混みで、皆が青山さんに付いて移動しているはずなのに

不思議に、その空間にぽっかりと、スペースが空いていたように、わたしには感じられた。

しばらくじっと、目が合った。

そうして、ほんの束の間

ぽつりぽつりと、

言葉を交わすことができた。



そのままスルスルと付いてゆき

今度は、青山さんのお近くで、お話しを拝聴することができた。



作品解説が終わり

会場からの質問を、受け付けてくださった。

数名の手が挙がって、

青山さんがお答えになっていたのだけれど

途中、急に

「あなた一所懸命聞いているけれど、なにかないですか?」

と、わたしを指し

直接、振ってくださった。


わたしはその時、なにも思い浮かばなくて、流してしまったのだけれど…

その後、お二方ほどの質問にお答えになられて

もう次が最後、という頃

やっと 小さく、手を挙げた。

すぐに指してくださった。



わたしが、すごく しどろもどろながらに

質問させていただいたのは

『わたしは、

青山さんのような生き方は出来ないんです。

青山さんは、【脱私即的】と仰います。

“公” に生きていらっしゃいます。

でも、同時にいまは、“青山繁晴” 、という“個”として存在していらっしゃる。

そこには、「好き・嫌い」、「気持ち良い・痛い」など、

“個”の感覚があるはずです。

それを、どのように捉えていらっしゃるのでしょうか?』



青山さんは、ほんとうに、

すごく、お言葉を尽くして、答えてくださいました。

でも わたし じつは、

ほとんど分からなかった。

というのは

質問している時と

お答えを拝聴しているあいだ

なぜかなぜか わたしは、号泣していて

ほとんど、アタマが追いついていない状態だったから。


それに加え

青山さんが日々感じ、生きていらっしゃる、その感覚は

多分

わたしの感覚に、ない域だ。

だから

身体を以って理解することが出来ない。

分かったフリもできない。

言葉が難解だとか、そういう意味では

まったくないのだ。


分からなくても、

聞けることが、嬉しかった。

いまは分からない領域でも、青山さんの言霊を浴びていることが、嬉しかった。

アタマでは分からなくても、感じているのだ。



質問へのお答えとして

断片的ながら、

覚えているのは

まず真っ先に力強く発された

『個であることと、公に生きることは、まったく矛盾していません。』

という言葉。

そして

『ぼくは“無私”とは言っていない。“脱私”なんです。』

『到達すること、完成することはありえない。だから “オン・ザ・ロード” 。

それでいいんです。』




青山さんが語られることのすべてが

ほんとうに面白かった。

作品解説も、

アートへの認識も(それは宇宙観だった)、

他の方がなさった質問へのお答えも

(『生まれ変わったらミミズになります』がやけに印象的)、

どこも聴き落とせないくらいに

興味深くて

楽しかった。




青山さんの個展を拝見し

交流させていただけたことは

ほんとうに

有り難く、光栄なひと時でした。

幸せでした。




〜 武道 × 芸道 〜

武芸道 結 -MUSUBI-


東京から秋田県小坂町に道場を移転し、田舎移住。

武道と芸道の稽古をしながら「農」に関わり、

半農半士ライフの実践と発信をしています。


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