生まれた時から祈られているよ
東南アジアの旅の途中、カンボジアにて
トゥール・スレン拷問施設を訪れた後に
記していた文章。
* * *
施設を一回りし
誰もが黙り込んでいる
過去の
信じ難い惨事を
受け止めきれぬと
同時に
今なお
世界が、日本が
抱えている痛み
あまりにも捻じ曲げられた歪みの複雑さ
その重みは
途方もなく感じるほどで
何をどうしたらいいのかと
なす術がないような気すら感じる
片隅のベンチ
木陰で
誰もが黙している
わたしも。
ただ
わたしの胸に
強く思うことがある
苦しみを経験された過去の方々も
誰もが望んでいることは
「幸せに生きてください」
だということ。
決して
「あなたも苦しんでください」
では無い。
「もうこんな経験はしないで。
あなた方は、苦しまないでください。」
人々がどんな苦しみからも立ち上がり、
行動し、
後の人々に伝えて来られたのは
そのためだ。
意識は必ず
幸せを目指している。
「後を生きるあなたは
幸せになってください。
幸せでいてください。」
そう願われている。
すでにそう願われて、わたしたちは生まれてきた。
「幸せを自粛する」
「幸せを享受する罪悪感を持つ」
は
違うと、わたしは思う
「皆一緒に、濁った水の底のように、沈殿する」
というムードは
違うと思う
沈むよりもわたしは
強い、強い、強い光で
引き上げたい
「哀しみを忘れない。」
よく使われる言葉。
わたしはこうも言いたい
「幸せを祈られているって、忘れない。」
だからわたし
人が
素直に
素直に
幸せを望むように
純粋に
純粋に
幸せでいるんだ
たくさん笑って
たくさん泣いて
あぁ命を使いきった
楽しかった、ありがとう
と
生きたい
「あんな風に生きてみたかった。
こんな風に生きたかった。」
わたしに宿る
根源的な思いを
一切止めないんだ
叶えて、叶えて、叶えるんだ
「わたしがわたしを幸せに生きること」
それがどれほどの
祈りであり
弔いであり
浄化であり
世界を癒すことだろう
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