斬る愛
私はやたら喧嘩っ早いところがあるが、人を思い切り斬ると、一瞬は気が晴れても、結局自分が斬られたように悲しくなる。
正しさを貫いたつもりでも、裁かれた相手にこそ「許されたい自分」を見てしまうからかもしれない。
良いことはいい、悪いことは悪い。それを真っ直ぐに示すことは大事だが、その厳しさは愛でなくては。
私だって死ぬほど間違えて失態をさらして迷惑をかけて傲慢に生きてきた人間だからな。少しずつ時間をかけて歩んできた。今も歩み続けている。
他人だってそうだろう。自分の目の前で失態を晒すことくらい、イタイ人間になることくらい、あるだろうよ。
顔は憤怒で、心は励まし。本当は、「がんばれ、がんばれ」って言いたいだけ。
自分を超えていくことは陣痛のようなものだろう。私だって「こんなに辛いなら死にたい」って思ってきた。何が辛いって、醜い自分と向き合うことがだ。いまだに厳しいわ。
でも「陣痛って辛いよね、やめていいよ」って言わない優しさもあるだろうよ。「そこを超えろ!!超えて来い!!!」と叱咤するのが私だ。人に厳しく、自分に厳しく。
人に「変われ」と突き付けるなら、自分が変われる人間でないと。変わることは大変だ。それを自分がやる覚悟がないと、自分こそがいつでも恥を晒しながらその痛みを超えていける人間でないと、人になんて言えない。いつでも。
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前にフェイスブックで限定公開していた徒然書き。ブログに転載。
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