大空のサムライ
坂井三郎氏が 自ら志願して
やっと やっと やっとの思いで
掴んだ夢
それが
大空翔ける 航空兵
まさかそれを以って人を殺したいと願ったわけはなく
時代が違ったなら
戦闘機でなくてよかったはずだが
あの時代を生きた坂井さんが
誇りとともに乗り込んだのは
零戦であり
それを
愛していたように思う。
坂井三郎 著『大空のサムライ』
理不尽な 戦時下の話。
しかし同時に
坂井さんが望んで手にした
『夢』を生きた物語でもある。
ゆえに本書からは
凄惨な現実に反するようだが 不思議と
明るさすら感じさせた。
その精神は 大空のように。
*道端で撮影
『大空のサムライ』
著:坂井三郎
続けて拝読した
『父、坂井三郎 ー 大空のサムライが娘に遺した生き方』
著:坂井スマート道子
私がこれらの本を手にしたのは
私自身が古武道を学ぶ身として
その根となる精神
武士道を
分かりたかったから。
武人…
人を殺める用意のあり
また自決の覚悟もある
そのような在り方
事実、戦場を生きた先人方は
どのように感じていたか
そしてまた、戦争のない世へと転換するその最中を
どう捉え、生きていたのだろうかと。
*
両書を読了し
感じること 様々あれど
文章ひとつに纏めきれず
また、他の書物や資料を読んだ上で言葉にしてみたいと 思える点もあるため
断片的になるかもしれないが、あらためて 記事を分けて、載せていけたら と思うが
今はある程度、観点を絞った上で
今日の分の記事を書きたい。
*
ーーー 武士道 の
特質 というか、その根本は
死を見据えていること
にあると思うが
まさか生を軽んじているわけでも
「死ぬことバンザイ」でもなく。 ーーー
・
・
・
『大空のサムライ』の本から感じたのは
〈死〉と表裏にある〈生〉の
鮮やかなエネルギーだった。
コンマ数秒が生死を分ける戦禍…
そこでは まさしく
最高濃度に 全身全霊の生き方。
それは極限の状況下に他ならない。
しかし また
〈死〉と表裏一体の〈生〉
ーーー それは、本質的な意味において
日常を離れた 特殊な状況下にしか当てはまらないこと
だろうか?
それならば『大空のサムライ』は、
日本やアメリカにおいて、これほど 現代人の心を捉えはしないだろう。
それ は
当たり前の真理
以外の何ものでもない。
生死がかかっていない日常など
あったか?
いまでかつて
あなたの 人生に
その 一日、一日にだ。
明日は保証されていると思っているのか?
何を不安に、何を憂い……
そこに 生きる輪郭はあるだろうか。
精一杯の 生であろうか。
本書が 人の心を捉えたのは
坂井三郎 という人間が持っていた
戦時中であっても
その後 生き延び
平和な世を生活する中であっても
根本のところで
変わらない精神
ーーー 明るく前を向き
可能性の限りを尽くし
生きる力
そんなエネルギーへの
共鳴だったと思う。
その 生きる心構えは
『あとがきに代えて』の章に
示されている通りだ。
(読んでみてくださいね!)
戦後、平常の世を生きる坂井氏は
毎朝
鏡の中の自分の目を、しっかりと見ながら
大きな声で こう唱えていたという。
「今日も元気で起きられたことに 、感謝します 。
今日ももりもり働きます 」
ーーー これぞ武士道だ。
わたしは、そう感じる。
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