青山繁晴さん
青山繁晴さん。
社会問題へのプロフェッショナルなお答えは勿論のこと
学生の素朴な質問などに対しても
決して軽く見ることも、韜晦もせず
まったく同じように、真っ直ぐにぶつかっていらっしゃいます。
青山さんが語るのはいつも
持論の押し付けなんかでは一切なく
一緒に考えましょう、という提唱です。
この方の仕事に、危険がありこそすれ
一体なんの個人的な利益があるというのか。
映像に映る様子を見ても
その振る舞いに、なにを飾っているところがあるか。自意識があるか。
『ぼくらの祖国』
『ぼくらの真実 Boys and Girs Meet the Country』
大変感銘を受けた本です。
本に籠められた真心を感じました。
人の痛みに、その人の血肉を感じるまでに心を寄せる様に
涙なくして読めませんでした。
仮にも役者のはしくれである自分の、想像力のなさ、理解のない冷たさ、無関心が、恥ずかしくなるほどでした。
読みながら、小林秀雄さんの言葉が重なりました。
「考えるとは、“かむかう”こと。物に対する単に知的なはたらきではなく、親身に交わることだ」
「日本は僕の心の中にあるんですよ。諸君の心の中にみんなあるんだよ。気がつかないだけだよ。こんな古い歴史を持った国民が、自分の魂の中に日本を持っていないはずがない」
ご本、もし一度読んでいただけたなら
何か見方が、考え方が、変わるかもしれない…。
難しい文章ではちっともありません。
「右でも左でもなく、真っ直ぐ真ん中から考える」
青山さんの言葉は、真っ直ぐに心に響きます。
* * *
青山さんが書に紡ぐ日本語が
とても好きです。
国際情勢、歴史や憲法、国の危機管理問題などについて述べていますが
決して、硬さや取っつきにくさ、“難しい話をしている”感覚を感じさせません。
文体から感じるのは
捉えている永遠の魂と
一瞬一瞬に輝きながら過ぎ去ってゆく人生への愛惜
強さと思慮深さ
明晰さと情の深さ
胸にじんと響きます。
青山さんの座右の銘・生き方・志に、魂が呼応します。
「脱私即的」(私心を脱し、本来の目的に即す)
「深淡生」(深く淡く生きて死す)
「思い切り自由に、深々と謙虚に、淡々と強靭に、命の真ん中は真実でいよう」
「大胆であるために謙虚である」
こちらは“深淡生”で検索してみた際に見つけた、青山さんの昔のブログ記事です(2007年)。
http://blog.goo.ne.jp/shiaoyama_july/e/20825d475a69d72bbd92bc1d0ee044ab
* * *
以前、青山さんの書籍を拝読する前のことですが
海の特攻・回天を題材にした舞台「たからモノ。」に出演させていただく際
靖國神社と、遊就館を訪れました。
その時わたしの中で
「大和魂」「英霊」
といった言葉の感覚が変わりました。
それまでは、それらの言葉に
物々しい、恐れを知らない勇敢さ、猛々しさ、というようなイメージだけを、漠然と抱いていました。
なんと言うか…右翼の街宣車のように、太字の筆文字で、どーん!と書かれるような、ね 笑
でも
感じたものは
そうではなかった
もっと
透明な美しさで
これ以上ない優しさ
ほんとうの気高さ
でした。
誰もが、自分ではない、誰かのためを思っていた
どこまでも優しい魂。
戦地に赴く兵士らは
自分は死んでも、どうか妹が、妻が、子が
生き延びてほしい、そして平和な世界に生きてほしいと願い
家族らは
死んでいった兄弟が、父が、夫が
可哀想だ、どんな思いでいたことか、どんな風に死んでいったか、辛かったか…と
胸を潰されんばかりの思いで過ごした
皆、自分ではない者を思い、胸を痛めていました。
「子どもたちよ
未来に生きる人たちよ
どうか幸せに生きてください」
わたしは
そうして願われ、祈られて
この日本の地に生まれたのだと
知りました。
いまを生きる誰もが、ひとり残らず。
この優しき魂に
連綿と続く、ひとつのおおきな精神に
大和魂を
感じました。
正しい意味でどうかということではなく
知識や理解も深くないわたしですが
その時のわたしなりに、胸で感じたことです。
わたしが演じた役は、回天隊に志願した兄ちゃんの、妹でした。
人生で戦争を経験したことなど、もちろんなく
この作品にどう取り組んだらいいのか、悩み続けていましたが
この感銘に
舞台に立つ意義を感じ続けていました。
それからしばらく経って
青山さんの本と出会い、拝読したとき
靖國神社・遊就館での感慨と
青山さんが書かれていたことに、重なる面がある気がしました。
* * *
戦争や特攻を、美化することではありません。
ただ
祖国の先人たちの、気高い心と祈りをくんで
いまのじぶんを省み
さまざまな問題をどのように超えていけるだろうと、じぶんで考えて
(決して、政治的なことを考えるべき、政治活動をせよ、ということではありません。何か大それたことを指すのでもありません。)
そしていまを生きるわたしたちが
祈られたとおり
幸せであることだと
思うだけです。
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