自然の呼び声
「モンスーンの季節には、嵐が私を招き呼びました。」
鮮烈で忘れられない文章というものがある。
寝つけない夜はたいてい本を読むが
昨日は唐突に、ある文章を読み返したくなって
ティク・ナット・ハンの本を開いた。
ナット・ハン氏が子どもの頃いつも魅せられていた
嵐の日のこと
自然の声にこころを動かされ
宇宙の中心からの呼び声を聞くこと
* * *
ーーこんな瞬間に、どうして座ってなどいられましょうか。
私はビンロウ椰子になりたかった。風に翻弄される枝になりたかった。翼を鍛えようと風に逆らって飛ぶ鳥になりたかった。戸外に飛び出して、雨の中で叫び、踊り、旋回し、笑い、そして泣きたかった。しかし勇気がない。母に叱られるのが怖かった。
だから私は歌ったのです。自分がなりたかったものたちのために歌いました。たけり狂う嵐のなかではどんなに大声で歌っても声はかき消されます。窓の外で起きている饗宴に釘づけになりながら、私は歌いました。嵐の荘厳さに魂を吸いとられて。強烈な嵐の音楽とひとつになって、恍惚として、次から次へと歌い続けました。
そして嵐がやむとーー嵐の終焉はいつも突然やってきましたーー歌うのをやめました。身内の興奮が静まったあとも、睫毛に張りついた涙の粒は消えませんでした。
昔と同じではないけれど、いまでも私は宇宙の呼び声を聞くのです。その声はあのころと同じようにはっきりと聴こえて私を駆り立てるのです。それが聞こえてくると、わたしは立ちどまり、全身全霊、からだのすべての原子、細胞、血管、体液、神経をそばだてて、熱く敬虔なこころで聴き入るのです。
十年前に母親をなくした人のことを想像してみてください。ある日突然、お母さんが呼ぶ声が聞こえてきたのです。ちょうどそんなふうに、私は大地と空の呼び声を聴くのです。
「禅への道 香しき椰子の葉よ」
ティク・ナット・ハン
* * *
ティク・ナット・ハンの文章や詩は、このうえなく美しく深く優しくて
大好きです。
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